社長ノート | 株式会社スムース

Sumus BLOGブログ・読みもの

バイクの事故

<Vol.06> 数回に渡ってお届けしている社長ブログのシリーズ第6回目。前回 Vol.05 の続きです。   ***   21歳の冬、 僕は人生を変えるほどのバイク事故を起こす。 就職して半年、慣れ始めた職場で、充実していた時の出来事だった。 通勤途中で10tダンプに巻き込まれ、右足の大腿骨骨折で真っ二つに折れた。幸い意識はあったが、下半身が無くなったと思うほどの激痛だった。救急車に運ばれてすぐ膝に穴をドリルであける手術をし、骨を修復するため準備としてのけん引をし、数か月寝たきりからの大手術だった。その先2年間は骨移植の手術とリハビリの日々が続くなんて想像もしなかった。     その2年間は思い出したくもないほど、悩み、苦しみ、葛藤の日々だった。 医者からはおそらく、足の長さが変わる可能性があるので、走ることは出来ないだろう。歩くことも不便さを感じることになるだろうと言われた。 16歳から付き合っていた彼女とも僕の気持ちがコントールできない日々が続き、7年間付き合った後に別れることになる。結婚しようと思っていたので、その時は相当ショックだった。…

社長ノート  | 2022.11.17

希望と挫折

<Vol.05> ブログを書き始めて、OB様や初めてのお客様から「ブログ、読ませてもらっています!」と声をかけて頂けるようになりました。赤裸々に書いているので恥ずかしい部分がありますが、少しでも共感して頂けているのが嬉しいです。 今回も前回からのつづきです。   ***   学校に入学して、その時から「建築の道」を辿り始めることになる。 専門学校には色んな生徒が集まってきていて、親が建築会社の社長で継ぐ予定の者、建築家を目指している者、真剣に建築を学びに来ている人がそこには集まっていた。建築の学校に好奇心だけで入ってきた僕にはハードル高く、まして勉強をしてこなかったツケがさっそく訪れた格好となった。いきなり、大きなビハインドを感じていた。 必死でついていこうと頑張っていたが、構造の科目の部分での複雑な数式や計算は大変苦労した。建築は理数系なのだとその時知った。   当時の頃から図面作成はCADでパソコンで作成することが主流になってきていて、学校でも必須科目となっていた。この授業は本当に楽しくて、かなりのめり込んだ記憶がある。CAD設備が生徒1台づつあったり…

社長ノート  | 2022.08.29

建築との出会い

<Vol.04> それからでも、特にスポーツをするわけでもない、勉強をするわけでもない。ただただ、学校に行くけどすぐさぼったり、勉強もせずにバイトに明け暮れていた。 バイトだけは16歳から、本気でやっていた。スーパーマーケット、ガソリンスタンド、卵の工場、ほかも色々やったが、働くことはとても楽しかったし、働くことに関しては結構長続きした方だと思う。  高校は一応、ちゃんと行っていたので卒業できそうだが、これをやりたい!こんなことを経験してみたい!あの仕事がかっこいい!という希望や、想いが全然なくて、「これから、どうしたら良いんだろう」と焦りだしたのを覚えている。一度はホテルマンになりたい!と思って、専門学校で英語を学ぼうかなと考えた時期があったが、なんか違うとすぐ諦めた。大学へ行く学力やお金もないし、このまま、地元の会社に勤めることになるのかなと漠然と考えていた。 (裏の田んぼ風景) そんな時に、ある人のおかげで今の建築業界に繋がっていくことになる。そのある人というのは、今のおやじである。母が、僕が高校になったばかりの時だったと思うが、お付き合いを始めた人がいた。それまで、母子家庭で貧…

社長ノート  | 2022.08.05

ふるさとの原点

<Vol.03> 僕は、経営者になれたが、全然特別な人間じゃない。 設計の才能があるわけでもないし、良い学校も行ってないし、建築の世界に入ってから、家に興味を持った程度だ。 小学生と中学生の良い記憶が僕にはほとんどない。小学校はいじめられっ子で、下級生とよく遊んでいた。勉強もほとんど、しなかった。よく考えたら幼稚園の時から登園拒否していたように思う。 中学生になってもクラブにも入らず、ゲームセンターに行ったり、万引きをしたり、バイクを取ったりと好き放題していた。決して、喧嘩は強くなかったので新京極(四条河原町)のゲームセンターに行っては喧嘩に負けて、お金を巻き上げられた悔しい思いもした 笑。しかし、学校はちゃんと行っていたように思う。両親が8歳で離婚をして、母を悲しませてはいけないと思って、行動していたかもしれない。 父は京都の西陣で着物の染物業を営んでいた。僕が小学校を上がるぐらいに事業に失敗をし、大きな借金を背負ったと聞いている。僕らに迷惑をかけないようにと思い、別れを選んだとも聞いている。それでも、夜逃げの記憶もあって、今では良い経験だったと思えるようになった。父には良い思い出し…

社長ノート  | 2022.07.25

現場監督だったから、今がある。

<Vol.02> スムースの市川です。 前回のブログに引き続き、今回も僕のこれまでのことをお伝えしたいと思います。   ***   僕は職人を5年経験した後の26歳の時に、現場監督になりたくて京都市山科区にあった地場の中堅建設会社の株式会社シード(現在は株式会社メルディアDC)に飛び込みで面接して、雇ってもらった。 木造住宅の施工を一通り、職人として何でもやってきた。大工業務、基礎工事、足場組み、屋根貼り、外壁貼り、洗い工事、斫り工事など、色々と経験してきた。しかし、現場監督の経験はない。採用条件は監督経験者だったのだが、現場の経験があるということでギリギリ採用してもらった。(監督は出来ます!と言ったかもしれないが、、)   入ってみると、正直まずいなと思った。新事業として木造住宅部門を立ち上げて滋賀に進出していくという話を聞いた。 その当時、営業されていた所長と二人でがむしゃらに頑張ったことをよく覚えている。現場を管理したことのない僕は、まず優良な大工さんを見つけることにした。今まで素晴らしい大工さんと接点があった僕は、家づくりは大工で決まると思っていた…

社長ノート  | 2022.07.19

最高の会社「スムース」ができたわけ。

<Vol.01> 僕は自分の会社が大好きです。 ここに集まってくる仲間たちも家族のように想っています。しかし、子供の頃から何の取り柄もない落ちこぼれだった僕が会社を立ち上げ、最高の仲間たちと最高の家を作れている。今、この立ち位置でいられることが自分自身、一番の不思議なことなのです。 こんな僕が、ここまで来れたことをこれから話していければと思っています。 僕の店は工務店とは思えないつくりで、ここは何屋さん?と言われて入って来られるお客様がおられるぐらいです。大きなキッチンがあり、3メートルのテーブルもあり、2階に上がれる子供の遊び場があったり、ハンモックもある。敷地も400坪あり、家づくりの会社には必要のない広さです。 スムースの語源は、「住む」と共に築いていこうという言う意味での、複数形の「S」を繋げたもの。常に共に感じることを意識し、その名の通り「共感」を意味しています。家づくりをしながら、マルシェをしたり、お母さんの悩みを解消するためのコミュニティを作ったり、薬膳の会をしたり、スポーツをしたり、時には子供たちとお魚を放流したりする。 最も大事にしているのは、共感の中でいかに心に寄り…

社長ノート  | 2022.07.05

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