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<Vol.04>

それからでも、特にスポーツをするわけでもない、勉強をするわけでもない。ただただ、学校に行くけどすぐさぼったり、勉強もせずにバイトに明け暮れていた。

バイトだけは16歳から、本気でやっていた。スーパーマーケット、ガソリンスタンド、卵の工場、ほかも色々やったが、働くことはとても楽しかったし、働くことに関しては結構長続きした方だと思う。

 高校は一応、ちゃんと行っていたので卒業できそうだが、これをやりたい!こんなことを経験してみたい!あの仕事がかっこいい!という希望や、想いが全然なくて、「これから、どうしたら良いんだろう」と焦りだしたのを覚えている。一度はホテルマンになりたい!と思って、専門学校で英語を学ぼうかなと考えた時期があったが、なんか違うとすぐ諦めた。大学へ行く学力やお金もないし、このまま、地元の会社に勤めることになるのかなと漠然と考えていた。


(裏の田んぼ風景)

そんな時に、ある人のおかげで今の建築業界に繋がっていくことになる。そのある人というのは、今のおやじである。母が、僕が高校になったばかりの時だったと思うが、お付き合いを始めた人がいた。それまで、母子家庭で貧乏な生活を送っていたのだが、その母とおやじの出会いから生活が急に変わった。外食に行くことにもなったり、ファミコンを買ってもらうようにもなった。おやじは当時、地元で工務店を経営していて大工も6人ほど専属でかかえていて、バリバリとやる勢いがある工務店であった。

その時、おやじから建築を目指さないか?と言われた記憶がある。大工をしろとか、現場監督をしろとか、設計士を目指せとか具体的には全く言われなかったが、希望もなく、ダラダラと過ごしていて、この先どうしたらいいか悩んでいる僕を見かねて声をかけてくれたと思う。それから、色んな建築の専門学校の入学パンフレットを手に入れて、一つの学校に目が留まった。京都の園部に出来てまだ1年の京都国際建築技術専門学校である。卒業したら、すぐに建築士になれる!そして、そのパンフには建築士になると、ビルやマンション、住宅が建てられる存在になれるとあった。そんなことが自分に出来るのか?そもそも建築士ってなんだろうと感じながらも、直感的に「これだ!!」と決めた。決して安くない学費もオヤジが出してくれるという。


(住んでいた家)

それから、ちゃんと卒業できるように勉強をして赤点を取らないようにした。それまでの僕は自分が何かに向かって行動を起こすとか、ものづくりに興味を持つなんて想像もしてもなかった。建物がどうやって作られているなんて、気にしたこともなかったし、設計とか工事とかの意味さえも知らなかった。情熱をもって過ごしたことのない僕が、この建築という世界に惹かれ、まずは飛び込んでみようと決意した。建築というものを知りたい、どんなことを学ぶのか、めずらしく好奇心が沸き、そして、その冬に晴れて合格できた。

このブログのシリーズ
Vol.01 最高の会社「スムース」ができたわけ。
Vol.02 現場監督だったから、今がある。
Vol.03 ふるさとの原点
Vol.04 建築との出会い

 

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市川 正和 代表取締役

1973年京都市生まれ、長岡京市育ち。職人、現場監督、営業、設計とすべての業務を経験して2006年に滋賀でスムースを起業。私は常に『共感』ということが大きな基準となっています。スムースの名前の由来も「住まい」の住むと、複数を意味する「S」を繋げたもの。人のご縁に恵まれてきた人生で、これからも共感し合うご縁に恩返しして行くことが使命です。