希望と挫折

- 社長ブログ

<Vol.05>

ブログを書き始めて、OB様や初めてのお客様から「ブログ、読ませてもらっています!」と声をかけて頂けるようになりました。赤裸々に書いているので恥ずかしい部分がありますが、少しでも共感して頂けているのが嬉しいです。

今回も前回からのつづきです。

 

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学校に入学して、その時から「建築の道」を辿り始めることになる。

専門学校には色んな生徒が集まってきていて、親が建築会社の社長で継ぐ予定の者、建築家を目指している者、真剣に建築を学びに来ている人がそこには集まっていた。建築の学校に好奇心だけで入ってきた僕にはハードル高く、まして勉強をしてこなかったツケがさっそく訪れた格好となった。いきなり、大きなビハインドを感じていた。

必死でついていこうと頑張っていたが、構造の科目の部分での複雑な数式や計算は大変苦労した。建築は理数系なのだとその時知った。

 

当時の頃から図面作成はCADでパソコンで作成することが主流になってきていて、学校でも必須科目となっていた。この授業は本当に楽しくて、かなりのめり込んだ記憶がある。CAD設備が生徒1台づつあったり、専門学校では最先端での施設や機材が導入されていて、良い環境で学ばせてもらった。一番大きいことは卒業出来たら、二級建築士の受験資格がもらえることで、当時の専門学校では珍しかったと思う。

2年間、通学に2時間かけて通い続けて無事、卒業が出来た。受験資格をもらうため、そして何をやっても長続きしなかった僕が途中で投げ出さずに続けられたことは今までの弱い自分に勝って、建築という世界に生きていくことに決意した結果だったと思う。

少し前までは将来に不安しかなく、本気になれるものが無く、未来を描けずにいた自分が、入学当初の目標である建築士を取る権利を取れたことは、やれば出来るということを初めて実感するものだった。

1993年の春に晴れて、京都の日産建設という地場の中堅建設会社に現場監督として入社した。京都市から建築工事を入札して受注する会社で、市営住宅や小学校を主に建てていた。

入社して伏見の稲荷小学校と、嵐山の市営住宅の現場に配属された。日々、現場に出て測量や職人さんとのやりとり、図面も一生懸命書いていた。僕はこうして現場監督の道を進み始めることになった。この自分が図面を書いて、現場の監理をして、職人さんに指示し、大きな建築物が建てることが将来に出来るようになる事が信じられなくて、希望でしかなかった。

会社も新卒採用を始めたばかりの会社で同年代が1年先輩と同期が4名いた。良い仲間たちに恵まれて、良い社会人スタートが切れたと思った。同期も優秀な者ばかりで、こいつらに負けてはいけないとライバルとしても刺激ももらった。

学生の頃に仲良しだけで付き合うと、楽な道に逃げてしまう自分の性格を知っていたので、同期には負けないために、目の前のことを必死に取り組んだ。朝は6時に出て、7時に会社について、トラックに乗り換えて現場に8時の朝礼に間に合わす。そして遅くまで図面を書く。大変な日々だったが、本当に充実していた。会社の若手として、リーダー的存在だった。

しかし、そんな1年も経たないその年の冬に人生を変えてしまう出来事が起きる。

 

それはバイクの事故だった。

通勤途中で10tダンプに巻き込まれての大事故。

右足の大腿骨骨折で真っ二つに折れて、内臓も腸閉塞で死にかけた。下半身が無くなったと思うほどの激痛だった。この時はこれから数か月も寝たきりで、その先2年間、骨移植の手術とリハビリの日々が続くなんて想像もしなかった。

 

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市川 正和
代表取締役

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