現場監督だったから、今がある。

- 社長ブログ

<Vol.02>

スムースの市川です。
前回のブログに引き続き、今回も僕のこれまでのことをお伝えしたいと思います。

 

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僕は職人を5年経験した後の26歳の時に、現場監督になりたくて京都市山科区にあった地場の中堅建設会社の株式会社シード(現在は株式会社メルディアDC)に飛び込みで面接して、雇ってもらった。

木造住宅の施工を一通り、職人として何でもやってきた。大工業務、基礎工事、足場組み、屋根貼り、外壁貼り、洗い工事、斫り工事など、色々と経験してきた。しかし、現場監督の経験はない。採用条件は監督経験者だったのだが、現場の経験があるということでギリギリ採用してもらった。(監督は出来ます!と言ったかもしれないが、、)

 

入ってみると、正直まずいなと思った。新事業として木造住宅部門を立ち上げて滋賀に進出していくという話を聞いた。

その当時、営業されていた所長と二人でがむしゃらに頑張ったことをよく覚えている。現場を管理したことのない僕は、まず優良な大工さんを見つけることにした。今まで素晴らしい大工さんと接点があった僕は、家づくりは大工で決まると思っていたからだ。違う会社の現場に行っては、こんにちはー!と挨拶して、現場の中を見て大工さんの腕を確認したり、大工さんの車の中を勝手に見て、道具が整理整頓されているか確認したりした。

 

そして、本多さんと出会う。本多さんは3兄弟で大工をしていて、家づくりをする志、職人としてのこだわり、現場監督の役割、お客様への感謝、すべて教えてもらった。

3年間ほど、ほとんど休みもなく、知らぬ間に現場を見られるようになっていた。今でも本多さんの教えを守っていることがある。「大工は監督に指示を仰ぐ、しかしな、聞く前に自分の答えをもっているやつが一流の大工だ。」と、それから僕も誰かに聞きたいことがあれば、自分の考えをまとめてから聞くようにしている。逆に職人さんにも何か聞かれたら、自分ならどう納める?と聞くようにしている。たしかに答えを持っている人のほうが、軸を持って仕事をしていると感じる。

 

職人の経験をさせてもらっていた時、設計事務所や住宅メーカーの住宅が最高であると思っていた。かっこよくて、豪華で、美しくて、これぞ最高の家を作れる現場監督になりたい、いつかはそんな家をプロデュースしたいと思っていた。しかし、その考えは少しずつ変わっていく。

あるお客様は、おばあちゃんが亡くなった後に「あの時、リフォームしてくれなかったら、あんな幸せにいくことなんて無かったと思う。」生前、おばあちゃんと話した時も、「ここから入ってくる日差しと、風が心地いいんだよ。市川君、ありがとね。」と仰っていたことを思い出す。あの椅子に座っておられた光景が目に浮かぶ。

作りたいのは、素晴らしい家ではなくて、その人が本当に望んでいる想いをかたちにすること。想いをこめて、その人が幸せに暮らしていくことを叶える家をつくることなのだと教えてもらった。僕は家づくりをしたいのではなくて、その方の人生に寄り添い、心に寄り添って、何でもない大切な日常を幸せに感じる土台、すなわち家であり、かけがえのない故郷をつくることなのだと腑に落ちた。僕の軸がこの時、決まったように思う。

 

その原点で、その経験として現場監督をやっていたからこそ、今がある。建てた家を見て、大工さんが想いを込めてつくったのかわかるようになり、現場監督や設計士が本気で取り組んだのかわかるようになった。これはこの時の現場監督の経験が生きている。経験がない僕が、教えてくれる先輩もおらず、ここまで来れたのは、現場から教わり、現場でのお客様の声を聞き、職人さんに育ててもらったからだと思っている。

今でも 2・3年に1度、本多さんに会う。「市川君が工務店をやっているなんて信じられないなぁー。そのままやりたいようにやったらええんと思うで!」といつかの時、言ってもらった事を思い出す。その言葉も僕にとったら、この道で良いんだ!と背中を押してもらった様に感じる。

現場監督として道を決めた原点は、本多さんである。

 

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市川 正和
代表取締役

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