バイクの事故

- 社長ブログ

<Vol.06>

数回に渡ってお届けしている社長ブログのシリーズ第6回目。

 

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21歳の冬、
僕は人生を変えるほどのバイク事故を起こす。

就職して半年、慣れ始めた職場で、充実していた時の出来事だった。

通勤途中で10tダンプに巻き込まれ、右足の大腿骨骨折で真っ二つに折れた。幸い意識はあったが、下半身が無くなったと思うほどの激痛だった。救急車に運ばれてすぐ膝に穴をドリルであける手術をし、骨を修復するため準備としてのけん引をし、数か月寝たきりからの大手術だった。その先2年間は骨移植の手術とリハビリの日々が続くなんて想像もしなかった。

 

その2年間は思い出したくもないほど、悩み、苦しみ、葛藤の日々だった。

医者からはおそらく、足の長さが変わる可能性があるので、走ることは出来ないだろう。歩くことも不便さを感じることになるだろうと言われた。

16歳から付き合っていた彼女とも僕の気持ちがコントールできない日々が続き、7年間付き合った後に別れることになる。結婚しようと思っていたので、その時は相当ショックだった。建築の道を選んだ志も、現場監督になれないかもしれないという焦りが募った。

そんな、未来の不安を抱いた2年間はやさぐれた生活を送っていた。リハビリもろくにせず、片足で運転できたので車を乗り回し、朝まで飲み、フラフラする日々を過ごしていた。

当時の職場の社長である角社長からも、社会になんとか復帰させてあげようと声を掛けていただき、その時は松葉杖だったので、後輩に迎えに来てもらい通勤しながら図面を描かせてもらった。しかし、周りの同世代とのギャップや焦りが空回りし劣等感を感じてしまい、結局退職してしまった。角社長や後輩には本当に優しくしていただいたのに、今思えば申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

 

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それから骨移植の手術も終わり、少しずつ良くなっている実感を出来るようになっていた。変な歩き方だったが、生活に支障が出ない程度まできていた。

このままではダメだと考えるようになり、その時オヤジから「身体と相談しながらでいいし、うちの工務店の手伝いをするか?」と言われ、トラックなら運転できると思い、建築材料を現場に運搬することから始めた。

現場での大工さんとのやりとりが自分としては楽しくて、現場監督では無かったものの、現場で職人さんの手伝いをするようになっていた。現場に入れば、普段は温厚なオヤジも本当に厳しくて、職人の世界を肌で感じるようになっていました。今では考えられないほど、駒扱いで道具を取りに行く時は走ることはもちろんのこと、現場の流れも作業の方法も全く説明はなかった。オヤジには反発もしていたが、大工さん達はとても優しくて、建築が出来ていく過程を楽しんでいた。なんとか踏ん張って仕事を覚えるようになっていた。

オヤジのおかげで社会に復帰するきっかけをもらい、足もほとんど問題ないところまで治り、前を向き始めていた。この年に、二級建築士を取得し、このまま現場の職人さんの仕事をしながら、オヤジの工務店を継ぐことになるのかなと漠然と考え始めていた。

この足の怪我が無ければ、ゼネコンでそのまま働いて一人前の現場監督になっていただろう。会社を起ち上げていないかもしれないし、スムースが存在していなかったかもしれない。

この出来事が今後の人生を左右したのは間違いないと思う。

 

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市川 正和
代表取締役

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