- 社長ブログ

今日はプライベートなお話。

私には、今年で23歳になる一人娘がいます。お父さん的には一人っ子で女の子なら、さらに可愛いものです。でも、この10年は年に1・2回会う程度で、なかなか会えなかったので、寂しいものです。

10年前、娘が中学生に上がったころ、「大学生になったら、海外留学をしてみたい!」と言いました。小学4年生から始めたテニスが相当、自分に合っていたようで、その頃は滋賀大会や近畿大会では優勝する腕前になっており、関西大会や全国大会にも出るようになっていました。いつかは、テニスで海外に挑戦したいという意味でした。

その頃、私自身も海外志向で英語も話せないのに、アメリカやヨーロッパなどに経験として、年一回は行くようにしていました。私が海外に初めて行ったのは結婚してからだったし、本格的には30歳後半からだったので、特にその衝動があったのかもしれません。これは娘も面白いことを言うなと思い、行くのだったら、少しでも早く行った方がいいで!とそこから本格的に留学のために調べ始めました。

テニス留学

コーチにも相談しながらでしたが、テニスと言えば錦織圭が行っていたアメリカのフロリダ州にある『IMGアカデミー』でしょ!と思いつきでまずは行ってみようと、当時、家族旅行を兼ねて行くことにしました。紹介もコネもなく笑 そう、英語も話せないのに。

行くと、ちゃんと丁寧に案内してくれました!あらゆるスポーツのプロ養成アカデミーで、テニスのコートだけでも50面以上でした!規模がちがう!!最後にパンフレットをもらい、そして費用面の相談です。

いち、じゅう、ひゃく、せん、まん、、、おっ!!意外と行かせられるかもとテンションがあがり、さらに具体的な質問もしました。もちろん、翻訳機で。年間これぐらいなら、と話しているうちに何故か違和感が、、、わぁ!!!0が一つ足りていませんでした!!ドル計算はややこしい!生活費、寮、食費、保険など入れると数千万円です!1年で!!そりゃ、無理でしょ。勉強になりました、というか、行く前に調べとけという話です。

それから、色々と調べて、留学というその気にもなっており、結果、スペインのバルセロナにテニス留学へ行かせることになったのです!本気の覚悟の決意です!!娘もですが、私もです!!それから、中学3年に入る前に旅立っていきました。

振り返れば、私はスポーツをしたことなく、私の血ではなさそうですが、能天気と勉強が出来ないところは似ているようです。奥さんもついて行ったので、私自身も会社を起こして10年も経っておらず、それから更に必死で働きました。

会社も移転して、留学費用も捻出するのに家も売りました。色々と豪快に動いたものです。バルセロナでも相当、費用は掛かりました。それからすぐバルセロナにテロがあったり、コロナにもなったので、結局、私も1回しか行けなかったのですが、サクラダファミリアも行けましたし、ほかのガウディの建物も見れたのはご褒美でした。

娘と現地で集合したウィンブルドンにも行けたのも良い思い出です。錦織、フェデラー、ジョコビッチ、ナダル、大坂なおみ、マレー、娘が好きなサバレンカなどの試合も見れて最高でした!毎日、朝3時頃から並びましたがチケットが高額すぎて、何時間も並んだり交渉したりと楽しかったです。

ウィンブルドン
ウィンブルドン

高校にあたるテニスアカデミーもあっと言う間に4年が経ち、大学も海外で頑張って欲しかったのですが、さすがにこれ以上は出せないと、アメリカの奨学金で大学に入ってほしいとの伝えていたので、娘も必死で勉強とテニスを頑張ったみたいです。

世界共通の成績評価を数値化するGPAというものがあり、当時は成績がいくつになったとよく聞いたものです。私的にはサンディエゴという街が大好きなので、なんとかカリフォルニア大学サンディエゴ校、いわゆるUCSDに入って欲しかったのですが、相当レベルが高いということでした。日本でいうと東大か京大レベル!?

アメリカの奨学金は優秀で返済はしなくてよくて、全額でなくても割合で出してくれるところは沢山あります。娘も、全く勉強できなかったのが英語と数学で良い成績と、テニスの腕も少し認められたようで、試験の良い結果が出て奨学金を出して良いよと2大学から声が掛かり、全額とはならなかったですが、30%~50%は出してくれました。素晴らしい制度です。娘もよく頑張りました!

ひとつの大学はだいぶ北の州だったので、寒いのはやめた方が良いと私が伝えたので、もうひとつはハワイ大学でしたので、即決でハワイ大学になりました。有名なホノルルにあるマノア校ではなく、ハワイ島にあるヒロ校です。ホノルルは治安が悪いので、田舎のヒロでは最高の条件でした。何よりホノルルのマノア校より学費と生活費が安かったです。

あっと言う間の大学4年間で、大学でテニスチームのリーダーをしたり、充実した大学生活だったようです。結局、ハワイ島へは一度も行けずでしたが、今思えばなぜ行かなかったのか、、、娘は本当に最高の良い経験と体験をしたと思います。経験と体験は無理をしてでもやってきてよかったと思います。ある本で読みましたが、所有することだったり、貯蓄だったり、安心のために投資するのではなく、経験に投資すべきということがありました。まさに自分が大切にしてきたことです。自分が若い時は安定志向だったので、会社をしてからこの思考を排除し、娘にも託したのだと思います。

テニス留学
テニス留学
テニス留学
テニス留学
テニス留学

残念ながらプロにはなれなかったですが、人生において最高の10年を過ごしたことでしょう。在学中にトレーナーになる学びをしたり、メンタルなどを意識して心理学にも興味を持ったようですが、今は色々と悩んでいるみたいです。日本には帰って来るなと伝えているので、すぐ就職したり、焦らなくてもよいので、何でも経験してチャレンジしろと言っています。

30歳でも、40歳でも、60歳越えてでも、やり直しがききます。この話をするときはいつも、私は伊能忠敬のことを話します。日本地図を作った人です。50歳を越えてから、江戸に出て一から測量して日本地図を20年近くかけて作った人です。すごくないですか?

あとは、最近観た映画「国宝」でもそう感じました。芸で挫折して、死ぬ覚悟まで落ちる人生でも、やり直しがきくのだと。二人の主役からそう感じました。

『何とでもなる』

色んなことがあっても、この言葉を大事にしているし、伝えもしています。

娘にもこの言葉を伝えたいと思います。というか、そう思って行動しているようです。彼女も知らぬ間に一人前の大人です。話し方はまだまだ子供ですが、内容だったり、決断がびっくりします。パパの人生だし、好きにして頑張って!とか言います笑 また、彼女のインスタからも知らぬ間に彼氏が登場していていたし(勝手に僕はカルロスと名付けていました笑)、これもまたびっくりです。決して、盗み見ではありません。

さすがに中学生から離れた過ごしてきたので、私自身、子離れが出来ていないかもしれません。今でも可愛くて仕方ありません。甘やかせて育てたつもりはありませんが、頼まれたら応えてしまいます。しかし、彼女もこの5月に卒業し、私も役割を終えたと思います。

今月からニューヨークに行くみたいです。また、そんな治安の悪いところにと心配していますが、テニスのコーチとしてバイトに行くみたいです。アメリカの大学は留学していた学生が、卒業後に専攻分野に関連する仕事に就くために利用できる制度があります。OPTと言って、最長1年間、学生ビザのままでアメリカに滞在し、就労経験を積むことが出来るそうです。

その制度を使って、お金を貯めてハワイに戻りたいそうです。もう、私の援助はありません。事故と身体だけは気を付けてほしいです。若いうちはどんどん経験して、自分でこれかなと思ったら、まず行動です。色々、調べず、考えずに行動です。行動こそ真実。

焦らずに頑張れ。

娘と
娘と

(ichikawa)

 

滋賀県草津市・大津市・守山・栗東市・近江八幡市・湖南市中心)

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